時間をかけて作るということ

PUBLISHED ON 2019年04月16日 — DIARY

嫁の姪っ子が5月に結婚式を挙げる。スライドショーの製作を依頼された。よくある新郎新婦の生い立ちから現在までをギュッと凝縮したストーリーだ。AdobeのPremiereを使っているが、凄い使いこなせるわけでもなく、手作業でちまちまやっている。

以前、2人の娘がそれぞれ保育園を卒園する際に謝恩会で製作した。お世話になった園と先生方に向けた、これもまた子供の成長を綴ったものだった。自分で言うのもなんだが、良い物を作っていると思う。あまり派手に演出せずとも、日々の写真を曲調に合わせ丁寧に並べるだけで十分情緒がある。

良いものを作ったのだから公開してみんなに見せたい気持ちにもなる。俺、こんなの作れるんだぞと。でも、クローズドな物なのでできない。でもそれでいい、存在が知られなくとも、そこにちゃんと価値はある。10年後、20年後にそれを見返した時のさらなる気持ちの揺さぶりを思えば、自分のかけた労力は固定なのに対してその価値は無限大にも思える。ソーシャルに現れなくても、それは半端ないスケールをしていると思える。

コンピュータサイエンスは便利なものが凄い速さで発展して、機械による自動製作がビジネスの可能性を広げている。語弊があるかもだけど、効率の良い大量生産に見えなくもない。確かに計算で補完はしてくれる、でも無機質さを感じる。それは自分が魂込めて一点ものの製作をしてる自負と経験があるからなのかもしれない。

自分が子供の頃、写真をわざわざ現像して、その輪郭を切ったり装飾を付けたりして分厚いアルバムを作ってくれるおばさんが居た。自分はそれが原風景としてある。手作業で時間をかけて作ることは、その魂が残る。経年劣化もまた遠い遠い時間を感じさせる。

データはデジタルになれども、コンテンツは魂込めて残していきたい。

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